日本の中央?!

日本の中央は東京でしょうか?京都でしょうか?
間を取って愛知でしょうか??
いえいえ、日本の中央は「青森」にあるんですよ。
間違っても「日本の中心」ではありません。
昭和24年6月、上北郡東北町と言うところの
東北町石文(いしぶみ)地区の雑木林で、
「日本中央」と書かれた石碑が川村種吉さん
という地元の人が偶然発見したのだそうです。
そんなもんがあるならと見に行ってみました。
DSCF0581.jpg

(今回も写真クリックで拡大表示)
なんと「日本中央の碑保存館」なるところに展示
されていました。
中にはいると・・・

DSCF0577.jpg

・・・ありました。
確かに「日本中央」と書かれています。
アップの写真
DSCF0578.jpg

だからなんなんだ?って話になるのですが、
なんでも平安時代末期に、藤原顕昭
(1130頃〜1210頃)という歌人がいたそうな。
彼は、『袖中抄(しょうちゅうしょう)』という著書の中に、
「陸奥の国の奧につぼのいしぶみがある。
田村の将軍征夷のときに弓の筈(はず)で、ここが
日本中央の地であることを石に刻みつけたので、
石文というのである」と記しています。
ここに登場してくる「田村の将軍」というのは、桓武天皇の
時代、8世紀末から9世紀初めにかけて、征夷大将軍として
蝦夷(東北地方)を征伐した坂上田村麻呂のことです。
田村麻呂は、「ねぶた祭り」のルーツという説もあるほど、
青森では、侵略者でありながら英雄視されている人物です。
藤原顕昭は、彼が蝦夷征伐の際に「日本中央」の碑を残した、
と書き記しているわけです。

「つぼのいしぶみ」については、源頼朝、西行法師、和泉式部
といったそうそうたる歌人たちが歌に詠み込んでいます。
明治9年、明治天皇の東北巡幸の際には、宮内省が青森県に
命じて「つぼのいしぶみ」を探させたが、ついに見つからなかった
という記録もあります。

発見当時、地元の人たちもこうした「つぼのいしぶみ」伝説は
よく知っており、石の掘り起こしを手伝いに行く途中、冗談半分に
「日本中央と書いてあったりして」などと言い合っていたのだそうです。
それがほんとうに出てきたものですから、村中大騒ぎだったらしい。
※参考HP「やっぴらんど ミステリィなAOMORI」より
http://www.actv.ne.jp/~yappi/index.html

といういわくつきの石碑であるようです。
まぁ怪しい石碑であることは間違いないのですが、
青森にはいろいろ変な物が有るようです。
この保存館、他に何もなくて寂しい場所でしたよ。
入場料も無料だったし。

ちなみに総行程78kmでした。
運動にはなったな。


にほんブログ村 自転車ブログへ